8月29日〜31日に開催されるCEDECの講師インタビューに答えた内容がGameWatchで掲載されました。以下、藤本回答分を掲載します。他講師のインタビューその他詳細については同サイトをご参照ください。
—–(以下、掲載サイトより抜粋)
R01 シリアスゲーム研究・開発の最新動向
R03 ゲーム業界にとってのシリアスゲームの可能性と課題
シリアスゲームジャパン コーディネーター 藤本 徹 氏
Q. 今回、講義を行なうことになった経緯を教えてください。
今年3月のGame Developers Conferenceで行なわれたシリアスゲームサミットで、IGDA日本の新さんと東大の馬場教授にご協力いただいて、日本のシリアスゲームを取り巻く状況を紹介するセッションをやりました。その準備を進めている段階で新さんから、CEDECのIGDAアカデミックの枠でシリアスゲームのセッションをやりたいですね、と提案をいただいたのがそもそもの発端です。Skypeやメールで新さんと何度かやり取りしながら企画を練っていって、今回の講演とパネルの2本立てセッションの形となりました。
Q. 今回の講義でどのようなことを伝えたいでしょうか? 講義に対する意気込みを教えてください。
今回のセッションの基本的なねらいは、講演の方でシリアスゲームのコンセプト、そしてシリアスゲームをデザインする上で重要な、学習とゲームの関係を整理するためのフレームワークを理解していただくこと。それからパネルの方では、日本のシリアスゲーム事例となるゲームの開発に携わられた開発者の方々とのディスカッションを通して、シリアスゲーム開発の実際の状況や課題、可能性についての理解を深めていただくことです。それによって、シリアスゲームに関心のある方や今後企画やデザインを手がけていこうと考えている方たちがさらに前進するための燃料補給となるようなセッションができればと考えています。
欧米ではシリアスゲームはブレイクして、ここ一年ほどの間に参入者も大幅に増え、相当な盛り上がりを見せています。それは端的に言えば、ゲームには社会を変えるパワーがあると信じる人々の輪が広がり続けている現象です。教育や社会的活動に取り組む人たちにとっては、ゲームは他の手段では成し得ない成果をもたらしてくれる強力なツールであり、ゲーム産業にとっては、市場の飽和や、暴力的描写などで社会からの風当たりが強い状況を改善するための一つの方策として取り入れられてきています。日本でもそうした状況は共通しており、シリアスゲームのコンセプトをうまく取り入れていくことで、ゲーム産業、さらには社会全体が行き詰まった状況に働きかけていくことができると思います。
欧米と日本のゲーム文化には違いがあり、ゲームをする人、しない人ともゲームに対する捉え方が異なる面があると理解しています。シリアスゲームの展開の仕方も、欧米でやっていることを日本にそのまま持ち込んだだけでは、まずうまくいきません。日本には日本のゲーム文化や社会的特性に対応した日本流のシリアスゲームが必要であり、今回のセッションは、その形成のための第一歩ですので、私も気合を入れて臨みたいと思っています。
Q. 受講者に何を学んでほしいのでしょうか?
シリアスゲームは、「何かのためにゲームを利用する」という実用性の部分に目が行きがちですが、その部分だけを安直に理解すると、あまり楽しい感じはしてこないと思います。特に開発者の方から見れば、ゲームの文化やアート性のようなものが取り払われて、何だか日用品や道具作りをするようで、面白みを感じないように捉えられてしまうかもしれません。しかし実は、シリアスゲームの実用性の部分は、社会の中にゲームが入り込むための「トロイの木馬」であって、ゲームによってもっと本質的に教育や社会のあり方自体を変えていこう、というのがシリアスゲームの根底にあるコンセプトです。
今のゲーム市場は、個人の限られた娯楽時間を他の娯楽産業との間で奪い合う中で市場を拡げ、その過程でゲームをする人、しない人の間の断絶を深めてきた側面があると思います。またゲームは非常に強力で魅力的な娯楽なため、個人の娯楽時間そのものを拡げてきて、もう拡げようがないところまで来て飽和状況にある、という見方ができます。
そういう状況でふと周りを見回すと、敵だらけなんですね。娯楽時間のパイをゲームに奪われた他の産業、活字メディアも映像メディアも、アウトドア系の娯楽も、みんな分け前が減りました。ゲームに熱中するゲーマーの周辺のゲームをしない家族、友達、教師たちにしてみれば、ゲームのおかげで自分たちの優先順位が下がって面白くないわけです。PTAや教育関係などの非ゲーマーコミュニティからの過剰なまでのゲーム拒否反応には、そうした状況が背景にあると言えます。熱心なゲーマーにしてみても、社会生活のための時間は必要であり、ゲームに費やせる時間には限界があります。そうした飽和状況の中で、今の娯楽時間のパイの奪い合いモデルを続けていくと、より壮大なもの、刺激的なものを志向し続けざるを得なくなり、コストは増大し、性や暴力などの安易な刺激に頼ることで、非ゲーマー社会との断絶は広がり続けます。
シリアスゲームはその実用性によって、ゲーム産業がこれまでカバーできなかった個人の娯楽以外の時間や、ゲームをやらない人々の時間をターゲットにすることができ、非ゲーマー社会との融和の道筋を作ることができます。社会生活の時間にゲームをする、学習や訓練のためにゲームをする、ということが起これば、これまでのやり方ではアプローチできなかった領域もゲーム産業が対象とする市場になります。
そしていったん人々の娯楽以外の学習や社会生活の時間に入り込んでいくと(あるいは、娯楽の時間が他の社会生活の時間と融合していくようになると)、その時間のあり方自体が変わっていきます。楽しんで学べるようになったり、難しくてできなかったことができるようになったりして、ゲームの持つパワーが個人の営みそのものを変え、個人の持つ可能性を引き出すエンジンとして機能するようになります。今回のセッションをきっかけに、ゲームによって社会を変える、ということを「シリアス」に捉え、その実現のために活動しようという方が少しでも増えることを期待しています。
CEDEC講師インタビュー
先日、今度講演するCEDEC関連でメールインタビューしたいと依頼があったので、ざっと答えたものがGameWatchに掲載された。(藤本回答分をシリアスゲームジャパンに抜粋して掲載) 読み返してみると、昨年夏や冬に日本でシリアスゲームの話をした頃よりもだいぶ中身の…